「愛がなんだ」分からなくていい、ということ
「愛がなんだ」を観てきた。
平日から満員、本当にすごい!!
余韻を一人で処理するのが無理だったので、いろいろ書く。
(ネタバレはありません!ほとんどだけど)
心ってどこにあるの?
その問いに胸や頭を指す人もいるだろう。
辞書を引いてみた。
1. 体に対し(しかも体の中に宿るものとしての)知識・感情・意志などの精神的な働きのもとになると見られているもの。また、その働き。
2. 事物の内にこもっていて、それの価値のもとになるようなもの。
うーん……分かったような分からないような。
自分の気持ちは自分にしか分からないように、心の場所もかたちも人によって違うんだろう。
というよりむしろ自分でも気持ちが分からないことも多々ある。
愛ってなんだ。
好きってなんだ。
今泉監督の作品に通奏低音のように宿っていたこのテーマが、この作品では痛いくらいに響いてくる。
(完全に余談だけど、人生で一番多く劇場で見た作品が今泉監督の「サッドティー」だった。6回くらいまでは数えてたけどあとは覚えてない。きっとどうかしてたんだと思う)
主人公のテルコが吐き捨てるように言った「愛がなんだよ」という台詞、そのシーンの中では怒りや憤りでありながら、観終わった今思い返すと希望のようにリフレインしてくる。
愛も好きも説明するようなものじゃない。
野暮、ともまた違う。分からない感情、説明できない感情も含めてるから。
だからそれは自分だけのもので良いはずだ。
"現代でも世界の人々の大半は「心」と言う場合、人間を人間らしく振舞わせる事を可能にしている何か、を想定している"
(wikipedia「心」より)
これまで経験した感情全ての蓄積が心となり、形成されていく心があなたや僕たちを人間くさくする。
「愛がなんだ」を観終わった後、もやもやした言葉にしきれないものを携えて、また心のかたちが少し変わったような気がした。
"愛ってなんだ ためらわないことさ"
宇宙刑事ギャバンのオープニングではこんなこと言ってた。喫茶店で調べてひとりニヤついてしまった。
そう言えばこの映画のキャッチコピーのひとつには『"好き"と言えないすべての人へ』とある。
みんな、ためらってたよ。ヒーローじゃないもん。
でもラストシーンのテルコを見て、彼女なりの道を見つけたんだと確信した。彼女なりの愛(のようなもの)を見つけたんじゃないか。
いいんだよ。愛が分からなくても。好きが分からなくても。幸せが分からなくても。
分かる必要すらないし、誰かに言われる筋合いもない。
劇中のスミレさんをはじめ、こういう恋愛なんて考えられない!という人もきっといるだろう。
「若いときはそれが全てのように……」
銭湯のおばちゃんも言ってた。
どいつもこいつもうるせえ。それが全てなんだ。それだけで十分じゃないか。
だからどうかほっといてほしい。
幸せのかたちを決めないでほしい。
形成される心のかたちが違うように、好きという感情はあなただけのものであり、彼女たちのものだけでもあるから。